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【新紙幣】いまさら聞けない「北里柴三郎」【1万円札の肖像画】

新紙幣
出典:https://ja.wikipedia.org/wiki/北里柴三郎
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北里柴三郎氏といえば、北里大学ですね!

北里大学の創始者ということと、なんだかすごいお医者さん?

とざっくりとしたことしかわかりません。

と言う事で調べてみました!

 

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細菌学の第一人者、「細菌学の父」と呼ばれる凄い人だった

日本の伝染病の研究と治療法・予防方法など、公衆衛生と病気の原因究明(細菌学)に尽力した偉人です。

出典:https://ja.wikipedia.org/wiki/北里柴三郎

生年 – 1853年1月29日(嘉永5年12月20日)
没年 – 1931年(昭和6年)6月13日)出身地 現・熊本県阿蘇郡小国町

 

北里柴三郎氏の超略歴

幼少期から四書五経や漢籍や国書等を学び、熊本医学校だ医学を学んだ。
1875年(明治8年)に東京医学校(現・東京大学医学部)へ進学した。
しかし、在学中よく教授の論文に口を出していたため大学側と仲が悪く、何度も留年した。

 この辺は、昔から日本は、「長いものには巻かれろ」というか「出る杭は打つ」というか、ままならないものだったみたいですね。

はぁ~~~。

1883年(明治16年)に医学士となったようです。

在学中に、「医者の使命は病気を予防することにある」と確信し、「予防医学」を志し、研究にいそしむことになったようです。

 現代も最近になってやっと「予防医学」が大切だと言うようになってきましたので、北里柴三郎氏がどれだけ時代の先を行っていたかわかるものです!

  • 1885年(明治18年)ドイツベルリン大学へ留学
  • 1889年(明治22年)破傷風菌純粋培養法に成功
  • 1890年(明治23年)破傷風菌抗毒素を発見・血清療法を開発・血清療法をジフテリアに応用
  • 1891年(明治24年)私立伝染病研究所(のちの国立伝染病研究所(現在の東大医科学研究所))を設立
  • 1894年(明治27年)ペスト菌を発見
  • 1901年(明治34年) – 第1回ノーベル生理学・医学賞の公式候補に選ばれる
  • 1913年(大正2年) – 日本結核予防協会を設立
  • 1914年(大正3年)私立北里研究所(現・社団法人北里研究所。北里大学の母体)を設立
  • 1915年(大正4年) – 恩賜財団済生会芝病院(現東京都済生会中央病院) 設立
  • 1917年(大正6年)慶應義塾大学医学部を創設
  • 1917年(大正6年)大日本医師会(現:日本医師会)が誕生し初代会長となる
  • 1923年(大正12年) – 日本医師会を創設

北里柴三郎氏の偉業の数々

1889年(明治22年)には世界で初めて破傷風菌だけを取りだす破傷風菌純粋培養法に成功しました!

これはとてもすごいことで、一つの細菌だけを培養して増やすことは当時できなかったんですね。

目的の細菌だけを培養できれば、その細菌がどのような働きをするのか?

どのようにすれば退治できるのか?

などなど、様々な研究が繰り返しできるようになるわけですよ!

その結果、1890年(明治23年)には破傷風菌抗毒素を発見した。

さらに血清療法という、菌体を少量ずつ動物に注射しながら血清中に抗体を生み出す画期的な手法を開発しました。

この血清療法をジフテリアに応用し、ジフテリア免疫破傷風免疫が成立することについて論文を発表しました。

これが当時恐れられていた破傷風を予防し、被害者を減らすための礎となったのは言うまでもないでしょう!

 破傷風というのは、大変恐ろしい病気で、当時では発症すると8割前後の患者が亡くなるという、致命率の高いものでした。
それは治療法がなかったためですので、北里氏の偉業がどれだけ世界に貢献したのか、これだけでもわかるというものです! ちなみに破傷風菌は土中に広く生息し、傷口から侵入し感染するものです。 現代では、北里氏の研究と尽力の結果、ジフテリア・百日咳・破傷風混合ワクチン(DTP)の定期予防接種が行われて、患者数が激減しています。

しかし近年、破傷風の発症者が微増しているので注意が必要です。

紆余曲折があり、私立北里研究所(現:北里大学の母体)を設立した後、同研究所で、狂犬病、インフルエンザ、赤痢、発疹チフスなどの血清開発に取り組みました。

どの病気も致死率が高く、当時としては大変な病気でしたが、研究の成果のワクチンなどで「予防」ができるようになり、それぞれ患者が激減したり、重篤になる患者も減りました。