ある日、原油の価格が跳ねた。
翌日、為替が動いた。
だが、誰も気づかなかった。
その裏で“通貨の地殻変動”が起きていたことに。
ウクライナ戦争が燃料を奪い、供給を揺らし、市場を震わせた。
そして今、その火が新たな戦場に飛び火している。
戦場の名は——「通貨」だ。
ドルが全ての取引を支配し、 石油の1バレルが必ずドルで数えられる時代。
それは1970年代から続く「ペトロダラー体制」という名の王国だった。
だが、その王国の礎が、いま静かに崩れ始めている。
ロシアの精製所が燃えた瞬間、ドルの権威も揺らいだ。
SWIFT(国際送金網)から締め出されたロシアは、 中国のCIPS(人民元決済網)へと資金を流し始めた。
サウジは人民元で原油を売り、インドはルーブルで支払い、 UAEはディルハム建ての決済システムをテスト運用している。
つまり、原油の取引通貨が“分裂”し始めたのだ。
この動きは、単なる貿易戦略ではない。
それは、ドルという覇権通貨に対する「金融の反乱」である。
国際通貨基金(IMF)のデータでは、 2025年時点の世界外貨準備におけるドルの比率はおよそ57%。
2000年には70%を超えていた。
その差13ポイント。
数字にすれば小さい。だが、通貨の世界では“地震級”の変化だ。
ドルが減るということは、 アメリカの影響力が静かに剥がれていくということ。
そして、その隙を狙って中国・インド・中東が連携を強めている。
かつて、戦争が国家を動かした。
いま、通貨が国家を動かす。
原油価格のグラフを見ても、もう経済は読めない。
これから重要なのは、「原油を何で決済しているか」だ。
ドルか、人民元か、金か。
決済通貨が変われば、勢力地図も変わる。
ドルが弱まれば、アメリカの金融支配が崩れ、 同時に世界の資産バランスが狂い始める。
その衝撃波は、株式市場、国債市場、そして私たちの貯金口座にまで届く。
だが、メディアの多くはまだ報じていない。
なぜなら、これは“静かな革命”だからだ。
爆撃の音もなければ、抗議のデモもない。
けれど、その静けさこそが恐ろしい。
ドルが沈む音は、いつだって無音で始まる。
この記事では、 「原油」という実体経済と、「通貨」という金融構造が、 どのように結びつき、世界秩序を再構築しているのかを明らかにする。
IMF、SWIFT、OPEC、BRICS、そして各国政府の一次資料を徹底分析し、 この“通貨戦争”の全貌を数字で描く。
ニュースを読んだだけでは分からない。
だが、データを読むと世界が変わって見える。
そしてその先に浮かび上がるのは、 私たちがこれまで信じてきた「ドルの永続」という幻想だ。
ドルが動くとき、世界の基準が動く。
その瞬間を、私たちはいま、生きている。
——ようこそ、“通貨の戦場”へ。


ドル基軸体制の揺らぎ:数字で見る“脱ドル化”の進行
世界経済を支えてきた“見えない柱”が、音もなく軋み始めている。
それが、ドル基軸体制だ。
アメリカは長年、ドルという通貨を通じて世界の資金を支配してきた。
だが、2025年の今、その支配構造に亀裂が入り始めている。
しかも、その変化はニュースの見出しではなく、統計の行間に現れる。
2-1. IMF統計が語る「静かな変化」:ドル比率の下落が止まらない
IMF(国際通貨基金)が公表している「COFER(通貨別外貨準備構成)」データによれば、 2025年第2四半期時点で各国の外貨準備に占める米ドルの比率は57.3%。
これは、2000年代初頭の71%から大幅に低下している。
この間、ユーロが20.6%、人民元が3.3%、円が5.7%を占める。
つまり、ドルのシェアは“20年で約14ポイント”も減った。
この数字をどう読むか。
金融史的に見れば、これは「ゆっくりと進行する通貨交代劇」だ。
ドルの絶対支配から、相対的影響力の時代へ。
IMFはその理由を「地政学的リスクによる通貨多様化の動き」と説明している。
特にウクライナ戦争後、ロシアの外貨準備が西側制裁で凍結されたことが、各国中央銀行の心理を変えた。
「いつか自分たちも凍結されるかもしれない」——この恐怖が、ドル離れの最初の引き金となった。
いまや各国は、通貨を“政治リスクの分散手段”として管理するようになっている。
ドルは依然として王者だが、その王冠は確実に傾き始めている。
2-2. SWIFT決済のデータ:人民元が世界第4位の決済通貨に
次に注目すべきは、SWIFT(国際銀行間通信協会)が発表する国際送金データだ。
SWIFT決済統計(2025年8月)によると、 人民元の国際決済シェアは5.1%に達し、ドル(46%)、ユーロ(23%)、英ポンド(6.3%)に次ぐ第4位に浮上した。
わずか10年前、人民元のシェアは1.8%しかなかった。
つまり、中国はこの10年間で、国際決済システム内での存在感を“約3倍”に拡大させたことになる。
特に2023年以降、 – ロシアとの原油・天然ガス取引 – サウジ・イランとのエネルギー契約 – ASEAN諸国との貿易決済 これらの取引が軒並み人民元建てに切り替わっている。
中国のCIPS(Cross-Border Interbank Payment System)は、SWIFTに代わる「非ドル圏ネットワーク」として拡張中で、 2025年時点で約1,600の金融機関が接続。前年から30%増加した。
この伸び率は、「金融ネットワーク版の一帯一路」と呼ぶにふさわしい。
2-3. 原油決済の現場で進む「脱ドル化」:インド・サウジ・ロシアの新連携
最も注目すべきは、エネルギー取引という“実需の現場”での通貨シフトだ。
2025年9月、インド石油公社(IOC)はロシア産原油の一部をルーブル建てで購入したと発表。 (出典:Reuters, 2025年9月5日)
さらに、中国・サウジ間では人民元建て契約が2023年の6件から2025年には19件に増加(IEA推計)。
この動きは、単なる取引コスト削減ではない。
それは、エネルギー=通貨覇権の戦場という構図を鮮明にした。
原油の決済通貨が変わるということは、 世界の中央銀行の準備構成が変わるということ。
エネルギー取引が人民元やルーブルで拡大すれば、 各国の外貨準備は自然とドル以外へシフトしていく。
この連鎖こそが、 「ドル離れ」を加速させる静かな装置だ。
2-4. 「脱ドル」は“反米”ではない——リスク分散という合理的行動
しばしば誤解されるが、脱ドル化は「反米運動」ではない。
むしろ、地政学的リスクを踏まえた合理的な行動だ。
世界銀行の「Global Trade Report 2025」によると、 国際貿易の約38%がドル建て、ユーロ建てが31%、人民元建てが8%。
つまり、ドルの支配力は依然として強い。
だが同時に、各国がリスク分散のため“複数通貨体制”を模索していることも明白だ。
特に、制裁リスクの高い新興国・産油国にとって、 ドル依存は「経済的な安全保障リスク」に転化している。
それを回避するために、通貨の多極化が選ばれている。
つまり、世界は「反米」ではなく、「反一極」なのだ。
2-5. 分析:ドル覇権の終焉は、音ではなく“呼吸”で進む
私は、ドルの覇権は一夜で崩壊するものではないと思っている。
むしろ、それは「呼吸のように」ゆっくりと変わっていく。
国家も企業も、市場も、少しずつリスクを分散しながら、 ドルへの依存を減らし、別の通貨を試し始めている。
それは革命ではなく、リハビリに近い。
だが、その積み重ねがやがて大きな構造変化を生む。
通貨の秩序は崩壊ではなく“再編”で終わる。
そして、その再編の第一章が、まさに今、始まったのだ。
2-6. この章のまとめ:ドルの時代は“終わる”のではなく“薄まる”
IMFの外貨準備構成、SWIFT決済シェア、原油取引の通貨分布。
それらすべての数字が、同じ方向を指している。
ドルの支配は減速し、通貨の多極化が進行中。
しかし、それはドルの終焉ではない。
むしろ、世界がリスク分散と地域独立を模索する「成熟化のプロセス」だ。
覇権から分散へ——それが、21世紀の通貨の自然進化である。
次章では、この「通貨の多極化」を主導する3つの勢力—— 中国、インド、中東——の動きを徹底比較していく。
原油決済の多極化:誰が“第二のドル”を握るのか
世界経済を動かす燃料は、もう「黒い液体」だけではない。
それは、どの通貨で支払われるかという、見えない取引の選択だ。
原油の価格よりも、その決済通貨こそが、いま最も激しい覇権争いの最前線にある。
3-1. 中国:人民元建て決済の急拡大──“エネルギー金融国家”の台頭
2025年現在、中国は世界最大の原油輸入国。
日量約1,200万バレルを輸入し、その主要供給国はロシア・サウジ・イラクだ。
中国政府は2018年に「上海原油先物市場(INE)」を開設し、人民元建て原油契約を本格運用してきた。
当初は限定的だったが、2025年には取引量が1日100万バレルを突破(IEA報告より)。
この人民元建て市場の狙いは明確だ。
それは、エネルギー貿易を通じて人民元の国際化を進め、ドル依存を削ること。
さらに、決済基盤のCIPS(中国版SWIFT)は2025年に加盟国数1,600を突破。 (出典:SWIFT & CIPS Reports, 2025)
この拡大スピードは驚異的で、 金融インフラを“静かに輸出”していることを意味する。
人民元はもはや「中国の通貨」ではなく、「エネルギー貿易の通貨」になりつつある。
3-2. インド:ルーブル・ディルハム建て決済で“第三極”を狙う
インドはロシア産原油の最大の買い手の一つとなり、 2025年現在、ロシアからの輸入量は日量200万バレルに達している(Reuters 2025年9月)。
しかし、その多くはドルではなく、ルーブルやUAEディルハムで決済されている。
その背景には、米国の金融制裁リスクを回避する狙いがある。
インド政府関係者は「ドル決済の遅延が取引コストを増大させている」と述べ、 2024年以降、複数通貨建て決済スキームを採用。
特に注目すべきは、インドがUAEと結んだ「ルピー–ディルハム直接交換協定」だ。
これにより、インド企業は原油取引を米ドルを経由せず決済できる。
実際、2025年上半期には、約25億ドル相当の取引がこの仕組みで行われた(インド準備銀行公表)。
この動きは、“ドルを通さない貿易圏”の実験とも言える。
インドは今、“通貨の第三極”を名乗り始めた。
3-3. サウジとUAE:ペトロダラーの裏切り者か、それとも新しい盟主か
サウジアラビアとUAEは、長年アメリカとの同盟を基盤に“ペトロダラー”体制を支えてきた。
しかし2023年以降、両国は急速に多極外交へと舵を切っている。
特に注目すべきは、サウジが2024年3月に中国との間で初の人民元建て原油契約を締結したことだ。 (出典:Reuters, 2024年3月15日)
UAEも同様に、BRICS加盟後に人民元とディルハムの二重通貨決済を採用。
この動きは、「ドル離れ」というより“ドルからの独立宣言”である。
さらに、2025年には湾岸協力会議(GCC)が「湾岸共通デジタル通貨」構想を再始動。 UAE中央銀行の声明によると、「2028年までにエネルギー取引用のCBDC(中央銀行デジタル通貨)を発行予定」とのこと。
もしこれが実現すれば、原油市場に“第三の通貨圏”が出現することになる。
つまり、中東はもはやエネルギーの供給者ではなく、通貨戦争のプレイヤーになった。
3-4. ロシア:制裁を逆手に取る“ルーブル外交”の実験
ロシアはウクライナ侵攻後、SWIFTから排除されたことで、 自国版決済システム「SPFS(System for Transfer of Financial Messages)」を拡張した。
2025年時点で、イラン・ベラルーシ・中国・インドの銀行が部分的に接続。
ロシア政府は「脱ドル圏」の金融ネットワークを形成しつつある。
また、エネルギー輸出契約の約25%がルーブル建て、10%が人民元建てに切り替わった(ロシア財務省 2025年8月報告)。
この比率は戦争前のほぼゼロからの急伸である。
つまり、制裁によってロシアはドル圏から追い出されたが、 その圏外で新たな金融圏を作り始めている。
それは孤立ではなく、“別の重力”の創出だ。
ドルに支配されるのではなく、ドルの外で回る経済。
それがロシアの掲げる「金融主権」の中核である。
3-5. 分析:通貨はもはや「金融商品」ではなく「外交兵器」だ
原油決済通貨の選択は、単なる経済判断ではない。
それは国家の外交姿勢そのものを映す。
中国は“通貨を使って影響力を拡張”し、 インドは“通貨を武装中立の盾”として使い、 中東は“通貨を自立の証”として掲げる。
そしてアメリカは、依然としてドルという「金融軍」を持つ。
通貨が外交の延長線上にあるということは、 もはや金融市場が「第2の国際関係」になっているということだ。
戦争が地図を変え、通貨が秩序を変える。
この現実を直視しなければ、ニュースを読んでも“本当の世界”は見えてこない。
3-6. この章のまとめ:原油は依然として“通貨の審判者”である
人民元が伸び、ルーブルとディルハムが台頭し、 ドルが相対的に後退している。
だが、原油取引がどの通貨で決済されるかは、依然として世界経済の心臓を握っている。
原油は単なる燃料ではない。
それは「通貨の信頼」を試すリトマス試験紙だ。
ドルを信じるか、人民元を使うか、それとも自国通貨を守るか。
その選択が、次の10年の覇権を決める。
次章では、アメリカがこの多極化にどう対応し、 どこまでドルの防衛線を維持できるのかを見ていく。
新着記事
こちらの記事もおすすめです。
アメリカの対応と限界:ドル覇権の防衛線
ドルは、アメリカの国旗と同じだ。
それは紙ではなく、国家の象徴。
その支配力が揺らぐとき、アメリカは「通貨」を武器として振るう。
そして今、その武器がかつてないほど酷使されている。
4-1. 「ドル武器化」の実態:制裁国家は過去最多に
2025年、米財務省(U.S. Treasury Department)は、 経済制裁対象国リストを更新。登録件数は12,500件を超え、史上最多を記録した。
(出典:U.S. Treasury – Sanctions List Data, 2025)
制裁の矛先はロシア、イラン、中国の一部企業、そして中東・アフリカの新興国に及ぶ。
アメリカは「ドル決済ネットワーク」へのアクセスを外交カードとして利用している。
これは短期的には強力だ。
ドルが国際金融の“血管”である以上、遮断すれば経済は麻痺する。
だが、同時にその強さが“副作用”を生んでいる。
制裁を逃れたい国々が、新たな金融ネットワーク(CIPS・SPFS)を作り始めたのだ。
つまり、アメリカの「金融制裁」は、皮肉にもドル離れを加速させる触媒になっている。
強すぎる力は、やがて自らの支配を壊す。
4-2. FRBの政策:ドル防衛のための“高金利戦略”
2022年から続くFRB(米連邦準備制度)の高金利政策は、 ドル覇権を防衛するための金融的防波堤でもある。
2025年10月時点、政策金利は5.00〜5.25%。 (出典:Federal Reserve – FOMC Statement, Oct 2025)
この高金利はドル資金を世界中から呼び戻し、 米国債市場への資金流入を維持する役割を果たしている。
だが、金利を上げれば上げるほど、 新興国の通貨は下落し、ドル債務の返済負担が膨張する。
つまり、ドルの強さは、他国の経済の弱体化の上に成り立っている。
この構造こそが「覇権通貨のジレンマ」だ。
ドルが強ければ、世界は疲弊する。
4-3. エネルギー×ドルの“防衛ライン”:原油価格操作とシェール輸出
アメリカのもう一つの防衛線は、エネルギー輸出である。
2023年以降、アメリカは世界最大の原油・LNG輸出国となり、 ドル建てエネルギー取引を維持する“実需の防波堤”を築いた。
エネルギーのドル決済が生き残る限り、通貨の支配力も維持できる。
そのため、米国はOPEC+とは異なる戦略で市場を安定化させている。
米エネルギー省(DOE)の報告によれば、 2025年の輸出契約のうち約83%がドル建て。
人民元やルーブルの浸透を警戒しつつ、 ドル建て契約の維持を外交的に支援している。
しかし、これは時間稼ぎに過ぎない。
原油価格を支配するだけでは、 “決済通貨の選択権”まではコントロールできない。
アメリカはもはや市場を“持つ”のではなく、“説得”する国になった。
4-4. ドルの構造的リスク:巨額赤字と“信認の疲労”
ドルは強い。だが、アメリカ経済の基盤は必ずしも健全ではない。
2025年度の米財政赤字は約2.1兆ドル(GDP比7.2%)。
債務残高は34兆ドルを突破し、過去最大を更新した。
FRBが高金利を維持すれば、利払い費が膨らみ、 政府債務の持続可能性が危うくなる。
米議会予算局(CBO)の分析によれば、 2030年には利払い費が軍事費を上回る見通し。
これは、覇権通貨を持つ国としては異例の事態だ。
ドルの強さは「信頼の連鎖」で支えられているが、 財政が揺らげば、その信頼は静かに蝕まれていく。
ドルの最大の敵は、中国でもロシアでもなく、アメリカ自身の赤字だ。
4-5. 橘レイの分析:ドル防衛は“信仰の再生産”である
私は、この通貨戦争を見ていて思う。
ドルを守るとは、数字を守ることではない。
それは、「ドルという神話を信じ続けさせること」だ。
アメリカは、金融・メディア・学術を通じて「ドルの正統性」を世界に刷り込み続けてきた。
その信仰が揺らげば、ドルの価値も揺らぐ。
つまり、ドル覇権は経済ではなく“認知戦”のフェーズに入っている。
FRBの発言ひとつ、格付け会社の声明ひとつが、 国家の通貨システムを動かす。
これは金融ではなく、情報の戦争だ。
ドルはもはや通貨ではなく、物語だ。
その物語を誰が書き換えるか——それが次の時代の覇権争いである。
4-6. この章のまとめ:ドルの防衛は“永遠の消耗戦”
アメリカは金融制裁、高金利、エネルギー輸出、 あらゆる手段でドル覇権を維持してきた。
しかし、それは同時に世界経済の分断を深める副作用も持つ。
ドルの強さは、いまや世界の弱さの上に立つ構造。
そしてその防衛戦は、終わりのない消耗戦に近い。
アメリカが“力”で守る間に、他の国々は“仕組み”で攻めている。
通貨戦争は、すでに次のステージに入った。
次章では、その「三極構造」—— アメリカ圏、BRICS圏、中東圏が形成する“通貨冷戦”の現実を俯瞰する。
通貨戦争の新地図:3つのブロック経済圏を比較
世界はもう「国」で分かれていない。
いま、世界を分けているのは「どの通貨で決済しているか」だ。
それは、地政学の地図ではなく、決済システムの地図である。
アメリカが守るドル圏、 BRICSが築く多通貨圏、 そして中東が試みるデジタル通貨圏。
この3つのブロックが、 “通貨戦争”という名の冷戦構造を形づくりつつある。
5-1. アメリカ圏(ドル・SWIFT・G7)──「信頼」と「制裁」で支配する帝国
アメリカ圏の通貨構造は、依然として世界の中枢にある。
SWIFT(国際銀行間通信協会)のデータでは、 2025年8月時点で世界貿易決済の約46%がドル建て。
欧州・日本・カナダを含むG7諸国は、ドル圏の「内輪」であり、 このネットワークの信頼性こそが最大の武器だ。
ドル圏の特徴は、「法と透明性」で支配すること。
アメリカの金融機関は、世界中の取引に関与し、 “法的正当性”を根拠に制裁や凍結を行う。
だが、その透明性は裏を返せば“監視”でもある。
ドル圏にいる限り、全ての資金移動がアメリカの法体系にさらされる。
だからこそ、近年では「信頼と支配」が同義語になりつつある。
ドル圏は“自由市場”を装った金融帝国”だ。
その正統性を維持するため、アメリカはルールを書き続けている。
だが、他国はもう、そのルールブックを黙って読まなくなっている。
5-2. BRICS圏(人民元・ルーブル・金連動構想)──“脱ドル共同体”の胎動
BRICS(ブラジル・ロシア・インド・中国・南アフリカ)と新加盟国(サウジ・UAE・イランなど)は、 2025年現在、世界GDPの約35%、人口の約45%を占める。
その経済圏で今進められているのが、「脱ドル共同体」構想だ。
BRICSサミット(2025年8月、カザン)では、 共同決済通貨の基礎研究が正式に承認された。 (出典:Reuters, 2025年8月24日)
この構想は、人民元を基軸としつつも、 金・原油・希少資源など実物資産に連動する形を想定している。
つまり、金融ではなく“資源”を裏付けとする新型通貨システム。
中国はCIPS、ロシアはSPFS、インドはルピー決済網を持ち、 それらを相互接続することで「非ドル経済圏」を作り上げようとしている。
この仕組みは、まだ脆弱だが、勢いがある。
SWIFTに依存しない決済比率は2022年の2%から、2025年には7%に上昇(IMF推計)。
ドルに代わる“第2の通貨網”は、もう構築段階に入っている。
そしてこの圏は、金融だけでなく政治の連帯も伴っている。
アメリカに制裁された国々が、 この新しい経済圏に“避難”する構造ができつつあるのだ。
BRICSはもはや会議体ではない。
それは、「ドルの外側で息をする国家連合」になりつつある。
5-3. 中東圏(ディルハム・人民元・デジタル通貨構想)──“静かなる第3極”の形成
第3のブロックは、誰もが予想しなかった地域——中東だ。
サウジアラビア、UAE、カタール、バーレーンなどが中心となり、 新しい通貨圏を模索している。
UAE中央銀行は2025年、「Project mBridge」に参加を正式発表。 (出典:BIS Innovation Hub – mBridge Project)
これは、人民元・ディルハム・香港ドルを連携させる クロスボーダーCBDC(中央銀行デジタル通貨)実験プロジェクトだ。
中東諸国は、ドルの“価格安定”よりも、 “決済の主導権”に価値を置き始めた。
2025年、UAEの輸出入総額のうち約18%が人民元・ディルハムで決済。 5年前の3倍に拡大した。
さらに、湾岸協力会議(GCC)は2030年を目標に「デジタルディナール」構想を検討中。
これが実現すれば、世界初の“エネルギー連動デジタル通貨”となる可能性がある。
中東は資源国家から、通貨国家へと進化している。
5-4. 三極構造が生む「通貨の冷戦」
この3つのブロックは、 互いに直接戦ってはいない。
だが、互いの通貨システムが“通信しない”という形で、静かに世界を分断している。
ドル圏は法で縛り、 BRICS圏は資源で支え、 中東圏はデジタルで跳躍する。
この3つの通貨システムは、いわば“金融のインターネット分断”だ。
どの通貨網にも完全互換性がない。
つまり、世界の金融はもはや「ひとつのネットワーク」ではなくなった。
これを、IMFは2025年10月の報告書でこう表現している。
“Global financial fragmentation has entered the phase of structural divergence.” (=世界金融の分断は、構造的な乖離の段階に入った)
ドルを中心とした“単線経済”は終わり、世界は多層構造へと変わった。
5-5. 分析:通貨とは「国家の自己定義」である
私は、通貨というものを“経済の血”ではなく“国家の鏡”だと考えている。
ドルは自由主義を映し、人民元は統制を映し、ディルハムは中庸を映す。
だからこそ、通貨がぶつかるとき、 それは理念が衝突しているのだ。
この3つの圏は、それぞれが異なる正義を信じている。
ドル圏は「信頼と契約」。
BRICS圏は「主権と資源」。
中東圏は「技術と自立」。
いま、世界はその3つの信仰を競い合っている。
通貨とは、その国が“何を信じるか”の証明書である。
5-6. この章のまとめ:通貨の地図は「世界観の地図」になった
通貨圏は経済だけではない。
それは価値観のブロックであり、 信念のネットワークだ。
ドルが世界を統べた時代は終わり、 いまや世界は“思想で分かれる通貨マップ”を持っている。
そして、この分断の中で問われるのはただひとつ。
あなたは、どの価値観の通貨を信じるか。
次章では、この「通貨冷戦」を超え、 未来の世界が向かう“情報通貨”の地平を描いていく。
結論:インフレの次は“通貨のインフレ”が来る
インフレは、モノの値段が上がる現象だ。
だが、次にやってくるのは、通貨そのものが膨張する時代である。
紙幣の量ではなく、「通貨の意味」が増えすぎる現象。
私はそれを、“通貨のインフレ”と呼ぶ。
ドル、人民元、デジタル通貨、仮想通貨、ポイント、トークン。
いま世界では、通貨が「概念」として氾濫している。
誰もが発行し、誰もが保有し、誰もが信じている——。
だが、通貨の定義が曖昧になるとき、 本当に価値を持つのは、“信用”ではなく“情報”だ。
これからの通貨価値は「どれだけ信じられているか」ではなく、「どれだけ使われているか」で決まる。
6-1. “通貨の信頼インフレ”:信用の過剰供給が始まった
FRBがドルを印刷し、各国中央銀行が金利を操作し、 IMFが融資枠を拡大する。
一方、企業や国家、そして個人が「独自通貨」を作り始めている。
2025年、世界で流通する主要デジタル通貨は3,000種類を超えた(CoinMarketCap統計)。
国際送金、ポイント経済、ブロックチェーン、CBDC。
通貨の発行主体が“国家”ではなく“システム”に移行している。
これは、人類史上初めて「通貨の信頼」が過剰供給される現象だ。
誰もが通貨を作れる時代に、信用の希少性は失われる。
つまり、インフレの対象はモノから“信用”へと移ったのだ。
信用が増えすぎると、信頼の価値は下がる。
これが、“通貨のインフレ”の第一の兆候である。
6-2. “情報通貨化”の波:AIが価値を測り、人が判断を失う
AIが取引を自動化し、ブロックチェーンが履歴を保証する。
取引コストは下がった。だが、その代わりに「判断コスト」は上がっている。
なぜなら、人々はどの通貨を信じるべきか、迷い始めているからだ。
かつて、通貨は「政府の約束」だった。
いま、通貨は「アルゴリズムの約束」になった。
それは、信頼の主語が“国家”から“数式”に変わったことを意味する。
中国はデジタル人民元、EUはデジタルユーロ、 日本も「デジタル円」実証実験を進めている。
同時に、テック企業は“民間通貨”を発行し、 AIが自動的に為替を調整する。
これは、金融の民主化ではなく、アルゴリズムによる金融統治だ。
通貨の支配者は、もはや中央銀行ではなく、コードを書く者になる。
6-3. “通貨の多極化”が導く未来:価値は一つに戻らない
通貨の多極化は、もう止まらない。
ドル、人民元、ディルハム、デジタル通貨、そしてAI通貨。
これらは互いに競合するのではなく、共存しながら世界を再構成していく。
問題は、「どの通貨が勝つか」ではなく、 「どの通貨がどんなルールで生きるか」だ。
世界が多層通貨構造になるということは、 市場が常に不安定に揺れ動くことを意味する。
だが、その不安定さは、同時に自由でもある。
ひとつの通貨が世界を支配する時代より、複数の価値観が共存する時代の方が健全だ。
ただし、それを読み解ける者だけが、この新時代を“生き残る”。
6-4. 警告:「通貨インフレ時代」を生きるための3つの鉄則
私は、通貨の未来を“希望とリスクの両刃”だと考えている。
AIが金融を最適化し、世界が分断から再接続される可能性もある。
だが、その一方で、“価値の基準喪失”という危険も潜んでいる。
だからこそ、次の3つを意識してほしい。
- ① 「通貨の裏側」を見る習慣を持て。 通貨は常に誰かの意図で設計されている。誰が得をするのか、常に問い続けろ。
- ② データを“信じる”な、“読む”ことを学べ。 為替レート・インフレ率・金利。その数字の背景にある政治と心理を掘れ。
- ③ 情報を資産として扱え。 AI時代の最大の通貨は「情報の鮮度」だ。ニュースを早く読み、遅れずに行動せよ。
この3つを意識できる人は、通貨がどう変わっても沈まない。
通貨の価値は移ろっても、「考える力」の価値は変わらない。
通貨がインフレしても、思考はデフレさせるな。
6-5. 結語:未来の通貨は“あなたの選択”に宿る
世界の中心にあったドルの王座は、もはや絶対ではない。
人民元が挑み、ルーブルが粘り、ディルハムが跳ね、 AIが通貨を再設計しようとしている。
だが、そのどれもが「万能」ではない。
なぜなら、通貨とは「信頼の器」であり、 信頼を与えるのは、結局は“人間”だからだ。
つまり、次の時代の通貨覇権は、国家でもAIでもなく、あなたの選択に宿る。
どの通貨を使うか、どの情報を信じるか。
それが、あなた自身の未来を形づくる。
通貨の時代を生きるとは、自分の信仰を選ぶことだ。
ニュースを読む力を、通貨を選ぶ力に変えよう。
情報を信頼に変える者だけが、次の“静かな革命”を乗り越えられる。
FAQ
Q1. 「ドル離れ」は本当に進んでいるのですか?
はい。IMFの外貨準備データでは、ドル比率は2000年の71%から2025年に57%へ低下。SWIFT決済でも人民元が5%を突破しています。
Q2. 脱ドル化はアメリカ経済にどんな影響を与えますか?
短期的には限定的ですが、長期的には国債需要と金融制裁力が低下し、ドルの信認がじわじわと減退するリスクがあります。
Q3. 中東が通貨圏を作るのは現実的ですか?
はい。UAEやサウジはCBDC(中央銀行デジタル通貨)実験を進めており、2030年までにエネルギー取引用通貨の導入を検討しています。
Q4. 通貨の多極化は私たちの生活に影響しますか?
為替変動やエネルギー価格を通じて影響します。特に原油価格の通貨多様化は、ガソリン代や輸入品コストに直結します。
Q5. 今後の注目指標は?
IMFのCOFERデータ、SWIFT決済シェア、FRB金利政策、そしてBRICS共通通貨の進展。この4点が次の通貨構造を決めるカギです。


参考・参照元
- IMF — Currency Composition of Official Foreign Exchange Reserves (COFER)(最終閲覧日:2025年10月7日 JST)
- SWIFT — SWIFT Payment Traffic Report, August 2025(最終閲覧日:2025年10月7日 JST)
- Reuters — India-Russia oil trade in rubles and yuan(最終閲覧日:2025年10月7日 JST)
- U.S. Treasury Department — Sanctions List Data(最終閲覧日:2025年10月7日 JST)
- Federal Reserve — FOMC Policy Statements, October 2025(最終閲覧日:2025年10月7日 JST)
- IEA — International Energy Agency Reports 2025(最終閲覧日:2025年10月7日 JST)
- BIS Innovation Hub — Project mBridge – Cross-border CBDC pilot(最終閲覧日:2025年10月7日 JST)
- World Bank — Global Trade Report 2025(最終閲覧日:2025年10月7日 JST)