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コロンビアの軌跡の4人の子ども。先住民のウィトト族とは?

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コロンビア南部のアマゾン密林で5月1日に小型飛行機の墜落事故があり、乗っていた1~13歳の子供4人が行方不明になっていたが、約40日ぶりに無事発見されたコロンビアで飛行機が墜落した事故で4人の子どもが奇跡的に助かりました。

ジャングルの中で40日間もサバイバルして何とか無事発見されたというニュースですが、この4人が先住民の子どもと言われています。

先住民という表現は日本ではあまり聞かないものでしたので、どのような人々なのか調べてみました。

調べてみるとやはり過去には迫害されていたり、大変な時代があったことがわかりました。

 

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コロンビアの軌跡の4人の子どもとは何?

まずはコロンビアで起きた飛行機墜落事故について調べました。

コロンビア南部のアマゾン密林で5月1日に小型飛行機の墜落事故があり、乗っていた1~13歳の子供4人が行方不明になっていましたが、約40日ぶりに無事発見されたという軌跡の生還です。

アマゾンのジャングルで子どもたちだけで生き延びたという驚くべきことです。

 

この子どもたちがジャングルで生き延びられたのは偏に先住民として自然の中で生き延びる術を親から学んでいたからです。

 

この墜落事故を起こした飛行機に登場していたのは、

  • パイロット
  • 先住民指導者
  • 子どもたちの母親
  • 13歳の子ども
  • 9歳の子ども
  • 4歳の子ども
  • 1歳の子ども

の7人です。

1歳の子どもと4歳の子どもは遭難中に誕生日を迎えたということで、最年少は事故当時11ヶ月だったという情報もあります。

 

母親に関しては事故後4日目に亡くなったということです。

子どもたちは飛行機に積まれていたキャッサバの粉やジャングルで採取できたものを食べてなんとか生きながらえていたということです。

 

事故後の捜索ではまず墜落した飛行機を発見し、大人たちの遺体を発見しました。
その時には周囲に子どもたちの姿がなく捜索が続けられていました。

諦めずに先住民ボランティアたちと軍関係者で1ヶ月以上も根気強く創作した結果、事故現場から3~5km(記事により違う)離れた場所で子どもたちを発見したということです。

発見当時子どもたちの内一人は衰弱が激しく歩けない状態だったと言います。

 

 

 

40日間もジャングルで生き延びられたのはなぜ?

生後11ヶ月から13歳までの子どもたちだけで過酷な環境であるアマゾンのジャングルで生き延びられたのはなぜなのでしょうか?

この子どもたちは先住民と表現されていますが、つまりは自然の中で生きていた民族でしたので、ジャングルの中での生きるすべを親から学んでいたからだと言います。

食べられる植物や野営の仕方などを学んでいたので生き延びることができたようです。

発見された時、子どもたちは炭酸飲料のペットボトルを使って飲水を確保していたという話もありました。

 

捜索に加わった先住民族の一人は「子どもたちは、炭酸飲料のボトルを使って水を集めていた」と記者団に語った。この男性によると、子どもたちは救出後に空腹を訴えた。

引用:母親は4日間生きていた。ジャングルを生き延びた4人の子どもの一人が明かす【コロンビア飛行機墜落事故】 (msn.com)

 

このようなことは日本で育った子どもたちでは思い浮かぶこともなかったでしょう。
その前に過酷なジャングルに放り出された時点で絶望です。

 

飛行機に乗っていた場所も助かった鍵になっていました。

飛行機は頭から突っ込むように地面に墜落していたということです。

後部座席に座っていた子どもたちと、亡くなってしまいましたが母親が事故直後には生存できていたということです。

 

先住民とはウィトト族

子どもたちと飛行機に乗っていた人は先住民の指導者ということでしたが、先住民とは難だったのでしょうか?

報道によりますと「ウィトト族」という先住民だそうです。

ウイトト族はコロンビア南東部からペルー北部の先住民です。

 

過去にはゴムの材料を取るためにこの地に入り込んだ人々によって病気が蔓延したり、半ば奴隷のようにゴムの採取をさせられたために大きく人口を減らしました。

 

ウィトト人々はかつて100の村または31の部族で構成されていましたが、病気と紛争によりその数は減少しました。

20世紀初頭、ウィトト族の人口は5万人でした。 20世紀半ばのゴムブームは、ウィトト族に病気と避難をもたらし、その数は7,000〜10,000人に急落しました。

ゴムブームはまた、生産と需要の急増により、カウチョ抽出に対する外部の関心を高めました。

ウィトト地域では、フリオセザールアラナがゴム産業の主要人物の1人でした。彼は、アマゾンのカウチョゴムを抽出して販売する事業であるペルーのアマゾン会社を設立しました。

会社はウィトト族を含む先住民族の労働者に依存し、彼は絶え間ない借金と肉体的拷問を通じて労働者を終わりのない奴隷状態に保ちました。

彼の慣行は周囲の先住民族に大きな悪影響を及ぼしたため、会社の活動が終了するまでに、この地域の先住民族の人口は元の数の半分以上減少していました。

1990年代以降、牛牧場主はウィトトの土地に侵入し、土壌を枯渇させ、水路を汚染しました。侵入に応じて、コロンビア政府はウィトト族のためにいくつかの留保を確立しました。Wikipedia site:ja.wiki5.ru

引用:ウィトト族 – Witoto people – Wikipedia (wiki5.ru)

 

人の欲望というのは酷いものです。
この惨劇を起こしたフリオセザールアラナという人物はペルーの政治家でもあったのです!

悪魔のような所業を行ったこの男ですが、

彼は88歳で無一文でリマ近くのマグダレナデルマールの小さな家で亡くなりました。Wikipedia site:ja.wiki5.ru

引用:フリオセザールアラナ – Junior Solar Sprint – Wikipedia (wiki5.ru)

と言われています。

まとめ

アマゾンのジャングルで子どもたちだけで40日間もサバイバルして生き延びた子どもたちにはこれから平和な日々が来ることを祈っております。

母親を亡くしつらいですが。

 

父親に関しては疑惑の報道も出ていますが、つらい目にあった子どもたちに関してはそっとしてあげてほしいと思います。

いろいろと興味が尽きないですが、子どもたちを追いかけるのは違うと思いますので、メディアも私達も野次馬根性はやめて今後の子どもたちの幸せを祈りたいと思います。

 

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