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トイレの歴史【世界編】 古代ローマと中世パリのギャップ!?

世界のトイレ
Siggy NowakによるPixabayからの画像
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日本のトイレの歴史はこちらの記事にまとめましたが、世界のトイレの歴史がまたすごいので、この記事では簡単にまとめますね。

やはりトイレというのは人間の生活する上で外せないものです。
そこに文化が現れると言っても過言ではありません。

また当時の人が排泄に関してどのように考えていたのかを知ることにより、伝染病や感染症に対してどのように対抗していたのかもわかります。

現代ではよく知られている公衆衛生ですが、意外と最近までトイレに関してあまり気にしていない人々が多かったことに驚きです。

一部ショッキングな内容もありますので、気をつけてくださいね。

トイレの歴史を見ますと・・・よく現在はここまできれいになったんだなと感心してしまいます。

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世界のトイレの歴史

出典:https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2590851

お国が変われば気候や文化も変わるので、もちろんトイレに関しての考え方も変わります。

こちらの記事にまとめたとおり、日本では自然が豊富で、河川も多かったことからか、トイレを河川のそばに作り、天然の水洗便所としていたことが知られています。

その後、農作物の肥料として用いるために肥やしとして特定の場所で用を足し貯めるようになりました。

ですので街道沿いなどに糞尿が垂れ流しになっていることは比較的少なかったようです。
(牛車用の牛や馬の糞は道端にもあったとおもいますけども)

それでは世界のトイレの歴史を簡単に見ていきますね!

 

中国のトイレ

お隣、中国のトイレの歴史ですが、中国には2000年以上前から「豚トイレ」というものがありました。

Michael StrobelによるPixabayからの画像

なんだか少し嫌な予感がしますが・・・
みなさんが想像した通りだと思いますよ?

名称の通り、豚小屋の上にトイレを作って、そのまま豚のいるところへ排泄をするというものでした。

原始人も特定のところにトイレをしたとしても、その汚物が貯まる一方となると、他の場所に新たにトイレを作らないといけませんよね?
いずれは自然の微生物などが分解するとしても時間がかかりますからね。

この中国の「豚トイレ」の優れている部分は、その人間から出た排泄物を豚が処理してくれるということなんですね・・・・。そうなんです、豚が食べてくれるのです・・・。

 

実は人間は食べ物を消化吸収する時に、なんと食べ物に含まれる栄養の20%ほどしか吸収できないのです!

嫌な話ですが、人間の糞便中には約8割ほど栄養が残ったままなのです・・・。それを豚が食べると・・・。

大昔から一部養豚ができていたのはこの餌が通常の餌の他に人間の排泄物すらも餌にできていたから餌問題はなかったのかもしれませんね。

現在でも、中国の地方(田舎)に行くとこの「豚トイレ」が現役のところがあるんですって!

循環型社会といいますか、エコと言いますか・・・。

それだけ栄養が残っているので、肥やしとして肥料にしても優秀なのかもしれませんね。

「うさぎ」をペットとして飼い始めた人が一様に驚くのが・・・

Rebekka DによるPixabayからの画像

うさぎの食糞行動です。
知らない人が多いですし、「うさぎ」って無条件に可愛いと思っていますからね。
でもこの食糞行動は異常行動ではなく、本能で行っている生態としての行動なんですね。
野生ではなかなか餌にありつけないことも多いです。いつでも食べ物に困らないというわけでは無いですので、糞に残っている栄養をしっかり吸収するために食べるみたいですよ。
一回の消化吸収では食物に含まれる栄養を100%絞りとれるわけでは無いですので、何度か糞として出た分を食すみたいですね。

 

 

アメリカのトイレの歴史

アメリカのトイレの歴史と言いましても、ヨーロッパから渡来してきたアメリカ人たちのトイレ事情ですね。

インディアンたちのトイレ事情は違うようです。

昔のアメリカのトイレは「移動式トイレ」という分類のものです。

これはトイレが移動して各家庭を回っていたわけではなく・・・トイレがいっぱいになると他の場所にトイレを作っていたのです・・・

つまりは、家の近くに穴を掘ってその上に簡易的な小屋を建てていました。

それをトイレとして使用していましたが・・・そのうち穴はいっぱいになりますよね?

日本のように肥やしとして再利用していたわけでは無いので、貯まる一方なわけですよ。

そして一杯になると・・・穴を埋めて、他の場所に穴を掘り、上にある簡易的な小屋を移築するわけです。
そうです、穴(トイレ)がいっぱいになる度にトイレが移動していくわけです!

それで「移動式トイレ」というわけですね。

 

庭が全部トイレとして掘り尽くされたらどうするのでしょうか??
それはそれで恐怖ですよ・・・

そう考えますと、中国の「豚トイレ」という考え方は理にかなっていますよね。
資源の有効活用と排泄物の自動処理(豚さん頑張って!)が同時に行われていたわけですから。

 

アメリカでも排泄物が埋まっていた旧トイレ跡地では、排泄物が肥やしとなり栄養豊富な大地となっていたようです。

ですので農地として再利用されていたようですよ。

 

イラクには大昔から驚きのトイレ事情!

イラクではシュメール時代の遺跡からなんと「便器」が発掘されています!

「便器」ですよ!!

驚きです。

その遺跡は紀元前2200年ころのイラクにある宮殿の遺跡から発掘されていました。

なんとこの時代から「水洗便所」だった可能性があるのです!

日本では縄文時代頃から、河川のそばに小屋を建て、河川に直接排泄物を流した「天然水洗便所」があったことがわかっています。

しかし、この紀元前2200年ころのイラクにある宮殿遺跡では、腰掛け型(今で言う洋式?)で焼きレンガ製の便器が並んでおり、その穴の下には下水管を通じて河川に流される様に作られていたようです!

かなり文明レベルが高いですよね!

便器だけじゃなく下水道も整備されていたわけです!

すごいのはこの技術が継承されており、クレタ文明やインダス文明の都市でも同様の「下水道完備の水洗トイレ」が見られるそうです!

 

 

古代ローマもすごかった!

古代ローマもすごかったようですよ。

「テルマエ・ロマエ」という漫画やドラマが人気を博しましたよね?

古代ローマには公衆浴場もあったわけです。

Julia PhillipsによるPixabayからの画像

ということは、使用後の浴場のお湯を流さないといけません。
古代ローマにおいては、上下水道が整備されていたのですよ!

この整備された上下水道を使用して、古代ローマでは「公衆便所」まであったというから驚きです。

そして「公衆浴場」「公衆便所」の排水口と一般庶民の共同住宅にも下水管がつながっており、各場所で出た汚水は下水道を通って川へと流されていたようです。

古代ローマの都市は衛生的な都市だったのでしょうね?

現地には当時のトイレの様子に思いを馳せる展示もあるようですよ。

Siggy NowakによるPixabayからの画像

おそらく、男性の「小」も座ってするスタイルだったんでしょうね。

柄杓らしきものが何を意味するのかわかりませんが(もしかして手洗い用に地面の溝に流れている水を掬うのかな?)、公衆便所は古代ローマ人にとって社交の場だったのかもしれませんね。

当時を再現したと思われる絵画には、便器に座りながら談笑している様が描かれています。

現代では考えられないですけどね。

公衆浴場で裸の付き合いをする人々ですから、この辺のことは気にしなかったのかもしれません。

 

ですがこの素晴らしい技術と文化はなぜか後の世に引き継がれなかったようなのです・・・。

 

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中世ヨーロッパは酷かった・・・

何故この素晴らしい上下水道の技術と衛生観念、そしてトイレ文化が受けつがれなかったのか・・・

中世ヨーロッパはトイレ暗黒の時代とまで言われます。

中世ヨーロッパといいますと、華やかな貴族社会でその文化と歴史に憧れる方も多いと思います。

ただ、トイレ文化に関してだけは、悲惨の一言につきます・・・。

Jacques GAIMARDによるPixabayからの画像

中世ヨーロッパ、特にパリでは人々はトイレではなく「おまる」に用をたしていたということです。

一般家庭にはトイレがなく「おまる」でした・・・なら身分の差でということでまだ良かったかもしれませんが、実は宮殿にすらトイレがなかったのです!

有名な話で、お聞きしたことがある方もいらっしゃるでしょうが、宮殿には本当にトイレがなく、用をたす部屋もなかったといいます・・・

では宮殿に住む貴族たちは排泄をどのように行っていたのかと言いますと・・・庭だと言われています・・・

庭に出て用をたすのです!

男性だけじゃないですよ?「小」だけじゃないですよ?

女性も庭に出て、立ったまま用をたしていました・・・・という噂もあります。

 

ただ事実として、17世紀のルイ14世の時代に当時住んでいた「ルーブル宮殿」が汚物まみれになり、耐えられなくなったので「ヴェルサイユ宮殿」に引っ越したということがあります・・・。

ian kelsallによるPixabayからの画像

こんなにきれいな宮殿が・・・と思うと衝撃的ですね。

 

当時も上水道があり、宮殿まで水はひかれていましたが・・・トイレには使用せず、庭園にある噴水に使われていたとか・・・

何してんの?いったい??ホントにおかしいよ!?

と思うでしょうが、当時道路も各家庭から出たゴミや「おまる」に排泄した汚物で溢れかえっていたようで、都市全体が臭かったと言います・・・なんでそこまで放っておいたのでしょうか?

道路はゴミと汚物で平均10cm程も埋まっていたという文献もあります・・・

ですから、貴族たちも排泄に関する匂いは気にしなかったのでしょうね。

 

引っ越したベルサイユ宮殿にも特定の「トイレ部屋」はなく、使用人は「おまる」で排泄し、中身を庭に投げ捨てていましたし、王侯貴族は宮殿内のあちこちの部屋に設置された「椅子式便器(設置型家具風おまる)」で排泄し、便座の下が引き出しになっているので、排泄物は引き出して庭に捨てていたようです。

この「椅子式便器(設置型家具風おまる)」はベルサイユ宮殿内に274個も設置されていたようですよ!

それでも当時ベルサイユ宮殿に出入りしていたのが、王侯貴族で1000人ほどと召使や使用人たちで4000人ほど居たそうですので・・・274個じゃ足りないですし、総勢5000名尾排泄物ですから・・・大変なことになっていたでしょうね。

そんな中で優雅に貴族のパーティー(?)をしていたわけですから・・・どんな神経をしていたのでしょうか??

この時代のことは掘り下げると気分が悪くなりますのでこの辺で・・・(笑)

 

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まとめ

国や時代が変わればトイレ事情も変わりますね。

しかし中世ヨーロッパのパリのトイレ事情には驚きです・・・

中国は昔から効率よく事を進めることがわかりましたし、古代メソポタミア文明初期のシュメール文明時代から下水道整備しての水洗便所があったことには驚きですし、古代ローマにおいては、上下水道を整備して一般人も利用する「公衆便所」まで設置されていたことに驚きです!

それがなぜ、中世のパリまで伝わらなかったのか・・・。
逆に何があったのか興味が出てきましたよ!

 

下水とトイレを整備することで疫病の被害が減らせるのは明白ですので、当時の中世ヨーロッパでは度々疫病で大変な被害を出したのですね。

Peggy und Marco Lachmann-AnkeによるPixabayからの画像

今、きれいなトイレがあることに感謝です!

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